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プロフィール・個人史

 

藍川大輔

 

 光がある所に闇は存在出来ません。しかしこれは、光に包括された闇
はもはや闇でなく光だと云う事です。つまり、闇だと認識していたもの
を受入れて愛し抱きしめた時、全てが光だったと解るのです。

 

 そんな背景からも、その闇的な内容も、自己開示的に、それは、つまり
カミングアウトを、順次綴っていきます!

 

生い立ち:蟠

 

 1976年5月4日15:55に東経135度の大阪府に産まれ。

父方の先祖は、後の応保2年に、源信僧都の孫、性任僧都に帰依出し、

天台の寺院「円龍寺」を清洲に創建、開基した蟠龍院円龍
彼(円龍)は、源頼朝・源義経の父・源義朝の臣「朝明」であった

 

 

 

(現在の円龍寺の場所は岐阜県岐阜市大門)


 

源義経(牛若丸)は、鞍馬天狗のシリウス魔王尊信仰、
即ち「六芒星ダビデ・籠目紋の
鞍馬寺で育つ。

その父方祖母に、奈良・長谷寺にて買って貰った「紫と金で作られた
空海さんのキーボルダー」を大切にしていた小学生だった。






 曾祖父・藍川清成は福沢諭吉の娘婿・桃介と行動を共にした。次女・
金江さんは「神シリーズ
」を書いた作家・芹沢光治良の妻となる。自分
daisukeはこの光治良さんと誕生日が同じ、2度の自殺未遂経験も同じ。

 


 光治良さんはヨハネの産まれ変わりと自負。自分daisukeは異次元存在
から
「Joshua (★)」と名乗られコンタクトを受ける。別の機会東北3.11
の2日後には「神の主 
(☆)」と名乗られメッセージを受ける。彼の三女
芹沢文子氏は奇しくも通った東京音楽大学で声楽を教授されておられた。

 


 (★) 当時自分はパウロ・コエーリョ著「星の巡礼」に出てくる内在
            する相棒の名前を半年間程ずっと知りたがっていた。
   その後、Joshua 
ישוע= Yehoshuah =Yeshua= Jesusを知る。  

 (☆) 東北311震災の二日後に友人が霊媒となり音声で異次元通信
の際、通信相手がそう名乗った。ハイアーセルフからの音声言語化さ
れたコミュニケーションだと理解している。

 

 

 母方祖父の弟はバイオリンを弾き、その母を養子として迎えた画家・
藤島奨
のアトリエで幼少期を姉と共に遊ぶ。20代学生時にこの奨さん
と彼の回顧展(名古屋)で再会。訪れたモロッコや・欧州やメキシコの
話等を彼から聴き自身の世界観に影響を。偶然で必然の奇遇なのか、
欧州フランス・メキシコ・モロッコは既に自分自身でも訪問出来た。

 

 名古屋市立菊里高校音楽科を経て、東京音楽大学を5年で卒業。

 

 これらの生い立ち、先祖や親族諸々の流れの全ては『私は誰か?』を
思い出す為の導きシナリオ。現実体験・起こる出来事とは、ハート

裏返し。素直にハート
をどれだけ「そのまま」受入れているか?自愛
度数のフィードバックが、「現実世界」での体験となるのです。

 ハート
の中に宇宙が丸ごとポッカリ入っている。つまり、現実宇宙
の全てが「私・大いなる自己による自作自演」。その宇宙遊園地で人生
ゲームを進める為の「仕組み・仕掛けのネタバラし」が始まります。

 
 
 
 

 この先に続く文章では、幼少期から現在に至る迄の、その「有りの侭
・在るが儘」な赤ちゃん時期を経て、現実環境によって自ら「感情体験
の抑圧」のトラップ罠に嵌まっていく様子を。

 そして、溜め込んでも抑圧して体験せず、消化せずに居た状態を続け
るて限界を越すと爆発しちゃうんですね。爆発した事で、溜め込んでい
た感情体験を「まず認めて受入れる事」から再出発。

 その過程と感じる体験を経てそれが抜けると、あれだけ生き辛かった
現実世界が反転し「楽チン」になります。そうする事で「根拠のない」
安心感に満たされて、目の前の現実がどう転ぼうが「大丈夫だ!」と、
何時でも何処でも「根拠のない安心」で満たされます。

 

 

 そうすると「自分自身が本当に在りたい姿」本当にやりたい事、ワク
ワクの夢、それへ向う情熱がエンジン動力となって、実際に実行に動に
顕し実現体験つまり自分自身を表現・顕現していく事になっていきます。

 

 ピピッ!と直感のまま躊躇無く体験出来、それは本当に楽しい体験!

 

そうなっていった経過を以下、順に綴っていきます。

 

 

 

 

       CIMG0375.JPGのサムネール画像
   ~ Monument Valley ~  Arizona USA 2012   Photo by daisuke

          

 

 

 

乳児ダイブから15歳の冬

 

 自分が顕在意識の記憶に残る限り遡ってみると、赤ちゃん用ゲージベッド
に寝てて、天上に吊るされたクルクル回るメリーゴーランド的オモチャを、
眺めている風景。

 そして、戸建て住宅2Fの階段からすっ転がりながらダイブしているシーン。
同時に母親の悲鳴絶叫が聞こえていた。姉から突き落とされたらしい。恐いと
いう感覚は全く無くただ1F目がけて宙を浮きダイブ状態を体験していた事。

 4歳年上の姉、4〜5歳にして赤ん坊を突き落とすとは、それだけ彼女自身
も既に素直に表現する事を我慢してたとも云えますね。

 そして悲鳴絶叫する母自身が我慢し溜め込んできた、感情体験を姉と赤ん坊
のコンビが引き起こす事件として、その蓋してきた感情体験をさせようとし、
引き出している訳です。


 感じる体験とは、感動した時に哀しい時や嬉しい時に「涙」しますよね?
その時に心が奮えているのはお解りでしょうか?そのブルブル体験が、感じる!
です。怒ってる時は身体中がワナワナしてるかもしれません。そのワナワナ
を、ワナワナが治まるまで一緒にワナワナその不快感さを体験してればOK。


 1度一緒にワナワナした感情体験は、もう2度と戻ってきません。
洋服で言えば一点物のオーダーメイド。たった1つの限定品です!
(皆さん、物質品物だと飛びついてお買い上げするのにね!)



(その時既に姉は感情抑圧から現実をコントロール「突き落とす」行為を始めて
 いた事が解る。完全に親子スキンシップが無い事が事件を引き越している。
 因みに自分が成人してから母からの告白で知った事は「産まれてからその日
 まで母からから1度も抱き上げられたハグされた事が無い!」え〜?
 抱かれない事が無いって?!そんなん吃驚仰天! → その告白時に物凄く
 恐る恐る慣れない手つきで自分に初めてハグする母。2004年に母からの告白)

 

 

 

 

 そりゃ20代で自殺未遂2回しても(後に記述します)可笑しく無いわな。
にしても、よくぞここまで生きてたね!と自分自身の図太さにも、吃驚!
可笑しくなってきました。
(全てが実は自作自演だったからです、詳しくは別記します)

 

 

 

 

 当時は大阪府枚方市宮ノ下町という街での事。姉が通っていた聖母幼稚園の
遊具のウンテイから落ちて薬指を何鍼か縫ったらしい、しっかりと指には痕跡が
残っているが記憶にない。

 1つ印象的なのは「そう思えばそう成る」と当たり前に(つまりイチイチ
そう思う迄もなく)過ごしていた事。それは日常で何も考えずに呼吸している
が如く。ただただ純粋に疑念なく意図した事をそのまま行動すれば顕現する事。

 その習性からか、町内イベントや御祭り、街角でのガラガラ抽選の機会では
大概自分が引かされた。大概上位の賞をGETしていた事だけは覚えている。

 

 

 

 姉が聖母幼稚園に通っていた流れで聖書物語という本が自宅にはあった。
ぶっちゃけ挿絵が趣味じゃない、トーンがVibが荒い暗い色彩の挿絵だったが。
それはちょっと気持ち悪い感じだったかもしれない。バチカン・システィーナ
大聖堂の壁画にも通じるだろうね、その波動Vibは。
(両親の流れは浄土真宗・夫々西本願寺と東本願寺。関係無く姉は聖母幼稚園)
(気持ち悪いとは、当時己の闇の部分を嫌ってたらから。今なら単なるその人
 の趣味だともう知っているので、自分は要らな〜い!で特に嫌う事もなく
 「ああ、貴方はそうなんね!」と、スルーしてます。)

 

 

 幼稚園に上がる前に1日プレ体験をその聖母幼稚園で体験した後、引っ越し。
同市内での移動、俳優の岡田准一と同じ牧野幼稚園へ。彼と同じ担任の先生だ
ったけれど、未だに遣り取りが続いていて、当時の自分は運動会にクラス対抗の
リレーのアンカーを頼まれて前日に熱を出してたらしく申し訳ないと思ってたと
か、まぁ、既に思考雁字搦めな子供に突入していた模様。

 朝起きた時は爽快なのに、朝食を食べる前には既に「偏頭痛」の毎日。つまり
登校拒否状態だったんですね。しかし母は偏頭痛を治すが如く遠方の香里園の
病院まで連れて行き検査検査。しかし何処にも異常は在りません!で終了。

 平行して「早食い」が苦手な自分ですが『早く食べなさい!』と毎日怒鳴られ
続ける日々。そうすると食べる事自体が自分にとっては格闘化となったのです。
オチオチ楽しんで食事を味わって食べれる状況では無い。。。
そうしてどんどん『自己否定』の奈落の底へまっしぐら状態へとなりました。


 



 (母は子供時代登校拒否を経験。にも関わらその子供の身体偏頭痛から
のSOS信号を悪い治さなければならないものだとし、本当は母自身の幼少期
からの怒りと孤独感が「症状となって顕われて」いたのです。子供はそれを
代弁して知らせてくれているメッセンジャーって訳です。)

 (つまり、私を翻弄させる怒らせる子供達。言う事聞かない子供達。彼ら
は貴方自身が封印してきた見て見ぬふりしてきた便秘感情を引き出そうと、
奉仕してくれている有り得ない行動で有り難いナビゲートをしてくれてます)

 

 

 

 

 何かで風呂場に母から逃げ込んで中から鍵締めて閉じこもった事が。
「怒らないから出てらっしゃい」の子供故に言葉を信じてしまったばかりに、
出た途端に暴力体罰が始まる。単に「虐待」ですねこの域に達すると。

 

 

 

 都合のいい事に、親自体はそんな出来事は微塵も覚えていません。
(子供のフラストレーションは何処へ向けたらいいのでしょうか?)
(その子供が貴方自身だったらどうされますか?)
セッションでは向き合い方、自己開放の仕方をお伝えしています)


 父は父で一緒にお風呂に入った時に風呂場で「オシッコ」と彼は言い、
彼のナニを棒状にし何故か自分にも握らせ小水ではない白いオシッコ。
それにしても単に母との夜の営みの破綻からそのしわ寄せだろうけど、
「オイオイ相手が違うだろ!」と突っ込み所が満載な感情抑圧家族。

 

 後に母から結婚式後の初夜にて初エッチの際、エッチとは恐ろしい
モノだとそう思い込む展開があったと告白を。固く閉ざしてしまってい
ました、女性としての心も身体(子宮・膣)も。

 

 

 

 

 

             CIMG0380.JPGのサムネール画像
              Monument Valley ~  Arizona USA 2012   
                                 Photo by daisuke

   

 

 

 


 それって全部嘘っぱちで仮面で過ごしてるよね。嘘が嘘を上塗りしてる
そうやって、どんどん自分の本音、本当の気持ちを素直に表現する事から、
蓋して遠ざかる。そうやって自分自身を枠に蓋して閉じ込めている。


 『(自分が我慢してんだから)貴方も枠に閉じ込め我慢しろ』ばかりに
 『貴方の為』といいつつ、強要支配する。それがそのカラクリです。
(今は嫌!とか興味無い!とかウザイ!とか普通に云いますよ!)

 

 「子供の為」だと言動する世のお父さんお母さん、それって、自分自身が
自分自身に嘘ついてるだけですよ。それを子供に強要してどうするの?子供
は子供自身でその表現したい事は彼彼女自身で完全完璧に宿しているんです。
親の指し図でその表現つまり幸せを邪魔しない事です。

 

 

 

 卒園式の写真の自分の顔が大人びて凛々しい事に吃驚。(大人びる=仮面)
もう既に思考がコンガラガって、理論で相手を論破するような子供へと
既になっておりました。

 両親の不仲から姉はそのフラストレーションを顕しました。暴れたり
自傷行為や絵画の色彩トーンでそれを顕しました。通称「問題児」。しかし
両親はそれをSOS信号だと、己自身の投影鏡の姿だと気付かずに制圧。


 当然姉は自傷行為へとSOS信号を発信するようにもなりました。


 そんな両親と姉のドタバタ劇を毎日見ているので、自分が親にとっていい子を
する事で巻き込まれないようになっていきました。しかしそんな自分も限界が
きたかの如く、小学校中学年の時にトイレで便器に用を足すのでなく、
床に放水状態で撒き散らし、でも同級生が見てて担任に問いつめられた事も。

 

 

 

 

 成績優秀の子が何故?というニュースが巷でも沢山ありますが、全て同じ事。
自分自身を表現出来なくて硬直してしまっている。限界を超えて欠壊し崩壊し
ている点では皆同じ。つまりストレス解消というのも崩壊を助長させてますね。

 

 

 

 

 小学5年の時に大阪府から愛知県へ引っ越し。姉は中学3年生だった。もう
ここからが姉弟共に(もちろん両親もですが)、感情の抑圧からの反動が顕著
に顕われてきました。

 

 当時の愛知県の田舎ってのは名古屋市内と違い、管理教育は当たり前。中学
では朝礼の度にチェックされて、毎月廊下に生徒全員並ばされて髪型や制服の
検査、校則から1ミリでも外れようものなら体罰の嵐。忘れ物をすれば殴られ、
口の利き方が悪いと教師が機嫌を損ねれば即体罰。軍隊?みたいな学校でした。
(それは現代ではニュースになりそうな環境)

 生徒は呼び捨てで呼ばれ、個人の尊厳なぞ微塵もない....。そんな環境。
ますます優等生をする事に拍車が掛かり、定期テスト平均点99点でガリ勉
とあだ名を付けられて。確かに学校は荒れてないかもしれないが、それは単に
生徒達を制圧してるだけであって....。未だ未だ体罰が美徳の時代でした。

 

 

 


 大阪弁を話す子供ですから名古屋弁社会では笑い者とされる訳で。笑わ
れないようにとかの、もう自己否定の極みへとまっしぐら!でしたね。
 

 

 小学6年の夏からピアノをまともに始めたけれど、自宅で練習してたら、
雀にムクドリに、そこらの野鳥がガレージの物干竿に停まってピーチク
パーチク。練習してたら大概小鳥達がやってきたんですね。鳥達と音で
会話するのは本当に楽しかった!
人間と違い裏表無くストレートだよな!と、
ますます人間嫌い?に.....。

 

 

 

 

 今度はガリ勉君は成績を維持する事に追われ始め。5点満点×9教科の
内申点を1度45を取ってしまうと今度はキープする事が当たり前に。
43でも42でも『悪い』と母親からクレームが。

 母は英語科を出ているからか90点なんぞ貰ってきた時にゃ憤慨。
(これは単に彼女自身が怒ってるだけで、その怒りの体験から逃げて
 子供に当てつけてるだけです)

 そんな訳で『勉強ヤーメタ!』と放り投げる事に。しかし自分自身を
素直に表現する事なぞとても未だ出来ずにいて、当時は地方予選を通過し
全国大会に進んだピアノオーディションがあったので『勉強止めて音楽に
ピアノに切り替えよう』と子供心にそう決心したのでした。
(切り替えても、逃れようとしても無駄な事は、当時は未だ解らず)

 

 

 

 つまりは、発する言葉の意味内容と、発している音声の波動Vibrationが
あまりにもズレている、時には真逆な状態で生活している事に、幼少期
から物凄く混乱してきていた訳です。

 「しつけ」の名の元にボコボコにする親や教師。平気で本人達は嘘を
ついているのに「嘘はつくな」と彼らは仰る。その事を問いつめても
『貴方の為』と仰る。単に怒りを抑圧して(怒りはさらに孤独や哀しみを
隠してます)相手を支配コントロールしてるだけの名台詞が『貴方の為に!』
ですけどね。



 

 オーディション本選前に名古屋から東京迄ピアノレッスンに通う事に。
その際師匠から『藝高(東京藝大附属高校)受験するか?』との問いに、
「はい」と。

 合理的な家出を中2の14歳の時に思案するも、現実的に無理だと諦め。
受験だったら合理的に家出が出来る!と踏んだのです。


 



 しかしそれまで「自己否定」と怒りも寂しさも封印して生きてたから、
受験イベントの時は、さらにそれを穿り出してくれる出来事が起こります。


 

 受験時に予約していたホテルが『予約出来ていなかった』んですね。
未だ中学生と言う事で母が付き添いで一緒に状況。ツイン部屋が無く
同じベッドで2人で雑魚寝。もちろん寝れる訳ありません。。。

 スタッフがツイン確保出来ました!報告くれるも、結構ですと断る母。

自分は無言で絶句。でも押し殺して自分は黙って我慢してたんですね。

 「嫌だ」の一言が言えなかったんですね。他人(母)の命令通りに
治まったままだったんですね。

 

 


 母親に怒られるのが恐くて。
(恐いという体験から「何とか回避しよう」と対処逃げている状態。でも、
 現実に対して対処してつまり闘っても逃げても無駄、
 再び同じような有り得ない出来事が展開されるだけです。)

 

 

 

 

 で、翌日実技当日、悪夢の日となりました。
(ちゃーんと嫌なもんは嫌と云ってないから)


  実技演奏始めてすぐ止まってしまったんですね。最初から引き直して
再び同じ所で止まってしまったんですね。頭真っ白。放心状態。

 家出が水の泡となった出来事でした。
(つまり、恐怖なり孤独なりその体感、感情体験をチャーンと受入れ体験
 していかないと、吃驚有り得ない事件が繰り返されるのです。
 有り得ない=でもそれは有り難いデトックス的な導きな出来事。
 だからただただ受入れ体験していくだけでいいんですね、本当は!)

 

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 CIMG0396.JPGのサムネール画像
   Monument Valley ~  Arizona USA 2012   
                           Photo by daisuke

 

 

 

 
 

幼児期の回想

 

 

 この時期の記憶があまり残っていない中、思い出せる事を。幼稚園
に入る前は、大阪府枚方市宮ノ下町という街に住んでいた。確か近く
のバス停「桑ケ谷」迄も結構歩いたような記憶だ。近所に3兄弟が住
んでいて(兄姉弟)末っ子とよく遊んで貰っていた。彼は服飾に進み
ギャルソンのパターンデザインをするようになった。

 路上で缶蹴りをして遊んでいたのを覚えている。この土地は5歳迄
の時期だからか未だ行動範囲が限られていた模様。桑ケ谷公園が自宅
から遠かったので、家の前の路上で遊んでいた訳だ。先に書いた記事
乳児ダイブ」の事は実に鮮明に覚えているけれども、他は余り記憶
が残っていない。

 

 

 


 姉が通っていた聖母幼稚園の1日体験入園をした後、市内の別の地
へ引っ越し。最寄りは京阪電鉄の牧野駅。と云っても、駅からかなり
離れていたような。関西外大に通う学生さん達の通学路の近くだった。

 牧野幼稚園に入園し、政所先生が担任のすみれ組。特記する程記憶
が残っていない。翌年はふじ組で、池上先生が担任。こちらも幼稚園
生活の内容は、今ひとつ思い出せず。遠足で奈良の大仏若草山を駆け
下りた事や、夏場は園のプール遊びの事を何となく覚えている程度。

 池上先生クラスでは、俳優の岡田氏が居る。先生と再会した時に彼女
は嬉しそうに話してくれた。地元では誰もが知る遊園地、枚方パーク
のCMもちゃーんと彼はこなしている。昔は「菊人形」が盛んだった。

 その一方で鮮明に覚えているのが、両耳を引っ張られ泣いてた事。
頬をつねられ、ビンタ引っ叩かれ、泣いている自分自身。家から閉め
出され玄関のドアを「開けて」と泣き叫ぶ自分自身。食事を食べる事
が「遅い」と毎日毎食のように罵られ。

 

 

 



 毒親・母の呪い」というフレーズ言葉も巷ではある位だ。自分に
とっては母は偉大で閻魔大魔王と同じだった。幼児では、いかんせん
体力的にも女性であっても大人には太刀打ち出来ませんからね。とは
言っても、その呪いに掛かる体験とは「自分自身で望んで嵌まって」
いた、人生とは自作自演のドッキリ劇場。(その仕組みについては
悟りの扉にてどうぞ)

 両親夫婦はそういう意味では冷めて仮面夫婦をしていましたから、
彼ら自身が本音を偽り、感情を抑圧し、つまり自分自身を表現する
事から逸れている状態でしたから、その両親が「しつけ」と称して、
虐待に暴走してしまう、流れです。


(実はそれが「悪い」訳でもなく、ただ本人自身が幼児期トラウマと
なった抑圧感情が開放出来てないが故、負の連鎖を起こしてしまって
いるのです。子はその状態を承知の上で、その両親の元を選び産まれ
てきています。つまりその虐待の体験ですら、ある意味予定通りで、
完全完璧なドッキリ劇場、自作自演とも言える訳です。)

 

 


 

            CIMG0751.JPGのサムネール画像 
            Sedona Arizona USA photo by daisuke

 

 

 

 親から暴言暴力を浴びる事は、非常に寂しいし孤独です。しかし、
そんな事は「無かった事」かのように、振る舞っていったんですね。

 我慢しなさい!とピシャリと一括する母を前に、あれがしたい!
これが欲しい!と、素直な思いを発言する事が許されなかったその
環境から自分の心を、貝の様に固く閉ざして、ポーカーフェイスで

知的で良い子を
演じる様になっていきました。そして「優等生」の
聞き分けの良い子、いい人、優しい人、の、出来上がりです。


 姉は反抗期バリバリの問題児で暴れた時期もありましたが、未だ
自分自身のご乱心振りを表現して出来ていたものの、自分の場合は、
心を氷のように閉ざし凍らせ怒る事も止め、封印していたのでした。

 

 

 


 何故か。両親に喜んで欲しかった、振り向いて欲しかったから。
赤ん坊の頃から「一切抱かれた事が無い」自分は引っ叩かれたり、
虐待扱いを受けたとしても、それでも、甘えたかったんですね。

 その根底は孤独と寂しさを、その堪え難いその感覚から逃げて、
それを隠す為に。その感覚があまりにも強烈で耐え切れなかった、
逃げていたとも云えます。


(後に成人してから2004年に精神病院退院直後、号泣する母から
余りにも慣れない手でギコチナイそのハグを初めて体験。)

 

 

 

 「何故ウチの子が!」と、それまでの良い子振り、優等生振り
から一転奈落の底へ落ちたと落胆する親御さん。それは
大いなる
勘違い
です。子は自分自身の映し絵。己の「闇」と向き合う事を
避ける為に、子に権威を振りかざし支配してきた、そのツケです。

 「貴方の為に」がその点綴的パターン。そう言動する事で、己
自身の心♡と向き合わなく済みますからね。正当な理由を掲げて
逃げてるだけだったのです。それを子が「ちゃんと向き合って」
との導きメッセージとして、問題を勃発させ諭してくれるのです。

  親御さん自身が、子供の頃から「我慢」して、素直に表現する
事を抑圧封印してきてますからね。子は命懸けでサポートしてる
とも云えましょう。その状態を皆承知の上で親御さんの元へ産ま
れてきてますから....。

 

 

 

 

 父方の祖母が名古屋から遊びに来てくれた時、度々京都の寺院
を回りました。日本天然の飛び石を渡るのが怖かった!確か伏見
稲荷では屋台で売られていたその雀の丸焼きが強烈に脳裏に焼き
付いて。小学校に上がってからだったかもしれないが、空海さん
のキーホルダーを祖母に奈良・長谷寺で勝ってもらい握りしめて
大事な宝物に。
 
 毎朝爽快に目覚めるも、朝食を終える頃には偏頭痛が毎朝勃発。
身体は正直なんですね。どれだけ、平静を装ってても、その心に
嘘をついて良い子を演じてても、身体は心と直結、正直なんです。

 その偏頭痛は30代に入る頃まで続きました。しかも痛みって、
生き物の如く動くんですよ。本当に当時は解らずで不思議でした。
小学校に進学、中学高校大学と進むにつれて、その偏頭痛は、姿
形を変えて、強烈に蝕みSOSアピールサイレンを鳴らすのでした。

 

 

 

 


 肛門が小さい細いらしく、出血ばかりするので、手術を。術後
はやたら「頑張ったね」と看護師さん達に声を掛けて貰った事は
よく覚えている。用を足したら、脱脂綿にアルコールで毎回洗浄。

 この頃から身体は既に悲鳴を上げていたと言う事でしょうか。

 何かあれば、直ぐに熱を出してつまり虚弱状態で過ごしました。
ふじ組の池上先生とは、高校修学旅行先の京都にて再会を。繊細
な子だったと仰るが、大人の眼の色を伺う為のセンサー感度MAX
だったと言う訳です。

 この幼稚園時代から、既に「身体は心の叫び」のシグナルが、
そのSOSサイレンが鳴ってた訳です。本人は全く気が付かず.....。
さらに自己否定と孤独を「無かった事、見なかった事」の暴走が
始まります。

 

                   


 

    CIMG0763.JPGのサムネール画像 
        Sedona Arizona USA 2012 photo by daisuke

 

 

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