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幼児期の回想

幼児期の回想

 

 

 この時期の記憶があまり残っていない中、思い出せる事を。幼稚園
に入る前は、大阪府枚方市宮ノ下町という街に住んでいた。確か近く
のバス停「桑ケ谷」迄も結構歩いたような記憶だ。近所に3兄弟が住
んでいて(兄姉弟)末っ子とよく遊んで貰っていた。彼は服飾に進み
ギャルソンのパターンデザインをするようになった。

 路上で缶蹴りをして遊んでいたのを覚えている。この土地は5歳迄
の時期だからか未だ行動範囲が限られていた模様。桑ケ谷公園が自宅
から遠かったので、家の前の路上で遊んでいた訳だ。先に書いた記事
乳児ダイブ」の事は実に鮮明に覚えているけれども、他は余り記憶
が残っていない。

 

 

 


 姉が通っていた聖母幼稚園の1日体験入園をした後、市内の別の地
へ引っ越し。最寄りは京阪電鉄の牧野駅。と云っても、駅からかなり
離れていたような。関西外大に通う学生さん達の通学路の近くだった。

 牧野幼稚園に入園し、政所先生が担任のすみれ組。特記する程記憶
が残っていない。翌年はふじ組で、池上先生が担任。こちらも幼稚園
生活の内容は、今ひとつ思い出せず。遠足で奈良の大仏若草山を駆け
下りた事や、夏場は園のプール遊びの事を何となく覚えている程度。

 池上先生クラスでは、俳優の岡田氏が居る。先生と再会した時に彼女
は嬉しそうに話してくれた。地元では誰もが知る遊園地、枚方パーク
のCMもちゃーんと彼はこなしている。昔は「菊人形」が盛んだった。

 その一方で鮮明に覚えているのが、両耳を引っ張られ泣いてた事。
頬をつねられ、ビンタ引っ叩かれ、泣いている自分自身。家から閉め
出され玄関のドアを「開けて」と泣き叫ぶ自分自身。食事を食べる事
が「遅い」と毎日毎食のように罵られ。

 

 

 



 毒親・母の呪い」というフレーズ言葉も巷ではある位だ。自分に
とっては母は偉大で閻魔大魔王と同じだった。幼児では、いかんせん
体力的にも女性であっても大人には太刀打ち出来ませんからね。とは
言っても、その呪いに掛かる体験とは「自分自身で望んで嵌まって」
いた、人生とは自作自演のドッキリ劇場。(その仕組みについては
悟りの扉にてどうぞ)

 両親夫婦はそういう意味では冷めて仮面夫婦をしていましたから、
彼ら自身が本音を偽り、感情を抑圧し、つまり自分自身を表現する
事から逸れている状態でしたから、その両親が「しつけ」と称して、
虐待に暴走してしまう、流れです。


(実はそれが「悪い」訳でもなく、ただ本人自身が幼児期トラウマと
なった抑圧感情が開放出来てないが故、負の連鎖を起こしてしまって
いるのです。子はその状態を承知の上で、その両親の元を選び産まれ
てきています。つまりその虐待の体験ですら、ある意味予定通りで、
完全完璧なドッキリ劇場、自作自演とも言える訳です。)

 

 


 

            CIMG0751.JPGのサムネール画像 
            Sedona Arizona USA photo by daisuke

 

 

 

 親から暴言暴力を浴びる事は、非常に寂しいし孤独です。しかし、
そんな事は「無かった事」かのように、振る舞っていったんですね。

 我慢しなさい!とピシャリと一括する母を前に、あれがしたい!
これが欲しい!と、素直な思いを発言する事が許されなかったその
環境から自分の心を、貝の様に固く閉ざして、ポーカーフェイスで

知的で良い子を
演じる様になっていきました。そして「優等生」の
聞き分けの良い子、いい人、優しい人、の、出来上がりです。


 姉は反抗期バリバリの問題児で暴れた時期もありましたが、未だ
自分自身のご乱心振りを表現して出来ていたものの、自分の場合は、
心を氷のように閉ざし凍らせ怒る事も止め、封印していたのでした。

 

 

 


 何故か。両親に喜んで欲しかった、振り向いて欲しかったから。
赤ん坊の頃から「一切抱かれた事が無い」自分は引っ叩かれたり、
虐待扱いを受けたとしても、それでも、甘えたかったんですね。

 その根底は孤独と寂しさを、その堪え難いその感覚から逃げて、
それを隠す為に。その感覚があまりにも強烈で耐え切れなかった、
逃げていたとも云えます。


(後に成人してから2004年に精神病院退院直後、号泣する母から
余りにも慣れない手でギコチナイそのハグを初めて体験。)

 

 

 

 「何故ウチの子が!」と、それまでの良い子振り、優等生振り
から一転奈落の底へ落ちたと落胆する親御さん。それは
大いなる
勘違い
です。子は自分自身の映し絵。己の「闇」と向き合う事を
避ける為に、子に権威を振りかざし支配してきた、そのツケです。

 「貴方の為に」がその点綴的パターン。そう言動する事で、己
自身の心♡と向き合わなく済みますからね。正当な理由を掲げて
逃げてるだけだったのです。それを子が「ちゃんと向き合って」
との導きメッセージとして、問題を勃発させ諭してくれるのです。

  親御さん自身が、子供の頃から「我慢」して、素直に表現する
事を抑圧封印してきてますからね。子は命懸けでサポートしてる
とも云えましょう。その状態を皆承知の上で親御さんの元へ産ま
れてきてますから....。

 

 

 

 

 父方の祖母が名古屋から遊びに来てくれた時、度々京都の寺院
を回りました。日本天然の飛び石を渡るのが怖かった!確か伏見
稲荷では屋台で売られていたその雀の丸焼きが強烈に脳裏に焼き
付いて。小学校に上がってからだったかもしれないが、空海さん
のキーホルダーを祖母に奈良・長谷寺で勝ってもらい握りしめて
大事な宝物に。
 
 毎朝爽快に目覚めるも、朝食を終える頃には偏頭痛が毎朝勃発。
身体は正直なんですね。どれだけ、平静を装ってても、その心に
嘘をついて良い子を演じてても、身体は心と直結、正直なんです。

 その偏頭痛は30代に入る頃まで続きました。しかも痛みって、
生き物の如く動くんですよ。本当に当時は解らずで不思議でした。
小学校に進学、中学高校大学と進むにつれて、その偏頭痛は、姿
形を変えて、強烈に蝕みSOSアピールサイレンを鳴らすのでした。

 

 

 

 


 肛門が小さい細いらしく、出血ばかりするので、手術を。術後
はやたら「頑張ったね」と看護師さん達に声を掛けて貰った事は
よく覚えている。用を足したら、脱脂綿にアルコールで毎回洗浄。

 この頃から身体は既に悲鳴を上げていたと言う事でしょうか。

 何かあれば、直ぐに熱を出してつまり虚弱状態で過ごしました。
ふじ組の池上先生とは、高校修学旅行先の京都にて再会を。繊細
な子だったと仰るが、大人の眼の色を伺う為のセンサー感度MAX
だったと言う訳です。

 この幼稚園時代から、既に「身体は心の叫び」のシグナルが、
そのSOSサイレンが鳴ってた訳です。本人は全く気が付かず.....。
さらに自己否定と孤独を「無かった事、見なかった事」の暴走が
始まります。

 

                   


 

    CIMG0763.JPGのサムネール画像 
        Sedona Arizona USA 2012 photo by daisuke

 

 

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